Ecua-Andino エクア アンディーノ

Ecua-Andino
エクア アンディーノ

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Ecua-Andino(エクア アンディーノ)

1980年代、創業直後のEcua-Andinoは観光客向けに手作りの製品を販売していた。ドイツ商工会議所(GCC)の援助により国外に目を向け、エクアドルの製品を知ってもらうための活動が始まった。

エクアアンディーノ創設者、エドガ・サンチェズ、アレハンドロ・レカロ、 創業者アレハンドロ・レカロ氏ならびにエドガ・サンチェズ氏は90年代後半を境にエクアドルの伝統、「パナマ帽」の輸出を始めた。21世紀になった今ではヨーロッパ、南米、アメリカ、そしてアジアに広くつながりを持つ。当初は「白に黒のバンド」のパナマクラシックを中心に販売、その後レカロ氏の娘、アレハンドラ・レカロ氏がフランスのファッション大学を卒業・帰国と共にファッション面でも急速な進化を成し遂げ、今では日々変わり続ける帽子のトレンドのまたその先を歩いている。

エクア・アンディーノはパナマハットの文化構成を守ることにより、その長き歴史とのつながりを大切にしています。パナマハットは各村にて個人の手によって編んでおり大量生産には向いていない。「各地域の編み手を一つの場所に集結し、生産する事により効率は上がるが、それでは編んでいる人も、売っている我々も幸せではない」がエドガ氏の口癖だ。創設者二人は1980年後半に、トキア草の栽培を行う地域、それを編む地域、そして形や色を完成させる地域に赴き、そのインフラを確立させた。週に一階各村から別の村へ材料や未完成の帽子を移動する仕組みを立ち上げることにより、携わる人間が独自の生活を維持しながらも生産に取り組むことができるようになった。村に訪れ編み手や栽培者に質問をすると誰もが彼らがしたことに計り知れない感謝をしている口を揃えて言う。インフラストラクチャーが整う以前は近くの村からロバや馬に製品を運ばせ最終的に販売するローカルの市場まで運んでいたと言う。エクア・アンディーノではこの製品の品質をより高い物に維持するために各村でもより技術の高い編み手を選んでいる。

元はといえばパナマハット赤道直下であるエクアドルの人々をその紫外線から守るために発案されたといわれている。この帽子がその後世界的に注目を浴びたのはその大分後になる。エクア・アンディーノも同様、彼らがまず輸出していたのは観光客向けの小さな雑貨や飾り物だ。1990年代後半までは彼らの製品ラインアップは帽子のほかに多数あった。世界でもっとも標高が高いとされている首都キトより車で1時間ほどにある街オタバロで彼らの商売は始まり、近辺に住むネイティブ・インディアン文化と混ざり、ポンチョや彫刻を販売していた。高校時代から知り合いだった二人はエクアドルらしい製品を海外に発信することを決意し、後文化遺産として登録されるパナマハット1本にジャンルを絞り、今に至っている。はじめは国内で観光客に販売していた製品も、次第にパリのファッションショーや、日本のファッションショーでも新しいトレンドとして注目を浴びている。近年では台湾や中国、韓国など欧米圏にとどまらずアジア諸国にも非常にウケのいい製品となっている。今後も政界へとそのファッション性は侵食し続けるだろう。